布部駅から芦別岳2024年04月16日


 先月で廃線になった根室本線

 女房が高校時代三年間お世話になった

 たった一駅八分間のドラマを繰り返す

 かれこれ六十年も前

 
 布部駅から芦別岳を望む

 此の風景はほとんど変わっていない

この歌詞2022年05月09日


       盗んだバイクで走りだす

       行く先も解からぬまま

           云々・・・

       自由になれた気がした15の夜


  この歌詞を聞いて 虫酸が走った

  真面目に働いてやっと買ったバイクを盗まれた

  犯人は15歳中坊

  警察官がこらえてくれと言うから こらえた

  
  15歳の自分を恥じるどころか

  自由になれた気がしたとは・・・

  自由にやってしまった事の責任を感じたと 詩え!


  写真は無免許でローマを走った

  オードリー

  盗んだベスパじゃないよ

カナモトホール緞帳2022年05月04日


 札幌市民会館 → 札幌市民ホール → カナモトホール

 孫のダンスの発表会で行ってきた

 安上がりの建築で建て替わった

 しかるに緞帳は懐かしい昔のもの

  
  当時北海道の美術デザイン界を牽引した「クリケン」こと

  栗谷川健一氏のデザイン

 
 残して良かった

 懐かしいだけではない

 変わってはならない郷土の愛がそこにある

金婚カンコン沖縄2022年04月20日

 
 沖縄本土復帰50周年

 
 50年前 結婚式を控えて

 当時妻になる予定の今の妻が

        「新婚旅行は沖縄に行きたい」と言い出した

 金も無し時間も無しのアンちゃんがつれて行けるわけもなく

 
 銀婚にやっと訪れて以来 先週三度目の沖縄訪問

 
 サンゴ礁のつくる海と崖は何度見ても美しい

 
 写真は  

     古宇利島を望む 

     識名園の池に散るデェゴの花びら

夢想瞑想享楽のパり2021年02月15日

 
 夢うつつで過去を思い出していた

 
 享楽のパリのキャバレー

 美しい踊子たちが半裸で群舞する圧倒

 スーツを着てリドのショーへ行った二十歳

 クレージーホースは四十歳ころ

 肝心のムーランルージュは映画だった

 もう 何が現実だったのか

 ごちゃまぜでわからなくなってしまった

 今ならもっともっと立派な乳房のダンサーを堪能できる

 の かな

 
 彼の人は女性蔑視発言でグローバル社会から制裁を受けた

 せめて生理的肉体的な発言なら

 「エロ爺が!ヘンタイ!」てな事で済んだだろうに


 旅は何時になったら行けるのやら

オタモイ2020年04月04日


 五十年前初めて訪れた時は既に廃墟だった

 今回五度目にもなろうか

 廃墟は深みを増し自然界に戻ろうとしている

 オタモイ海岸

 好きな景勝地である


 夢の跡を大気になぞってみる



 妻と車で誰もいない海を求めて此処に来た

 蟹と戯れるには未だ寒く波も高かった

 
 
 竜宮閣への道を見せたいのと

 積丹岳があまりに美しいので画像をいじってみた

紋別 活木庵2018年12月30日


 カツボクアンさん13周年です

 恒例の年越しそばが送られてきました

 
 13年経って 初めての ブログ登場です

 何故かって?

 此処は庵さんお仕事したのさ    だからね

 「遊び人・・・・・」のブログには載せなかったの    でもね

 13年も経って お付き合いは遊びの一部となりました


 建築プランからインテリアそしてサインロゴまで総て庵さんの仕事

 勿論オーナーご夫妻のご希望に沿ってですがね


 
 肝心の味のコメントはいたしません

 庵さん蕎麦ツウじゃないのでね

 それでも店主高畑順一氏は唸るほどの研究家

 お陰様で蕎麦の味を感じることができるようになりました


 皆様 旨い蕎麦で良いお年をお迎えください

ガリ版年賀状2018年01月07日

 
 ガリ版を知る人は少なくなった

 昭和四十年代までのガッコのセンセのメーンワーク

 テストやらお知らせやらの印刷はすべてコレ

 

 庵さん中坊になって初めてガリ版で年賀状を作った

 買ったのは紙やすりとロウ紙とインク

 あとは手作り

         (三百円のセットなど買えるわけがない)

 出来上がりは父にすこぶる好評で

 この時以来我が家の年賀状を仰せつかった


 
 どうせ父は二度目の年賀状を見ず早世したのだよ



 画像は「まぼろしチャンネル」様から失敬した

薄野通い2017年11月15日


 薄野にちょくちょくお邪魔していた  

 
 種を明かせば ハナタレの頃 祖母を訪ねての事

 薄野市場の脇の小路に入ると   そこは

 新宿通りに門を構える日舞の稽古場の裏の続屋


 義伯母は師匠の直弟子の師範で

 のっぺりとした役者顔の伯父がヒモ同然に祖母と暮らしていた

 らしい

 
 当時の薄野の芸者衆は勢いがあり

 正月に盛装して日本髪に黒紋付で大挙して挨拶に押し寄せた


 ハナタレは全く日舞に興味は無くて

 だだっ広い板の間と 狆と 熱帯魚と

 一坪もある雪隠ばかり思い出す

踏み絵2017年10月10日


 小学校に入る前だから五歳だなー

 父の郷里である大館を訪れた

 当時高校生の叔父が肩車をして映画に連れて行ってくれた

 
 地面に置いた小さなレリーフを踏まないといけない

 例えようもなく暗く恐ろしい映画だった

 とは幼児の記憶だ

 
 後日母にそれは「踏み絵」と言うものだと教わる

 昭和三十年に「青銅の基督」が封切られている

 それがそうなのかどうかはわからない

 自分の事なのにわからない


 遠藤周作原作の映画「沈黙」を観た

 「青銅の基督」もリメイクされ昨年発表されているらしい